2月7日。予定どおりに執筆がはかどると気持ちがすっきりする。わはは!楽しいぞぉ!と歌いたくなる。今日のように朝から夕方まで筆が進むと(実際にはタイプを叩く手が止まらない状態だと)極めて気分がよく、今日もよく頑張りましたという気持ちで布団に入ることができる。
一方、学校を辞して専業の物書きになったのに一日中うんうん唸っていても、或いはいろんな表現をどたばたとひっくり返していても、ひと文字も書けない日もある。
そんな日は当然のように寝つきが悪く、下手すると何時間も布団の中で人生を考える。なにやってんだ俺はという気持ちになり、子どもの頃から現在までのカレンダーを、まるで死の直前ライクに考える。考え続けていると目がばちばちに冴えてくる。するとさらに考え続ける…の悪循環である。
先日、西大和学園時代の教え子が拙宅を訪問してくれた。紅茶を飲みながら話していたのだが、彼が突然「先生、毎日なにをしてはりますの」と聞く。いつ訪問しても家にいて、そしていつ訪問しても寝癖頭でとてもそのままでは外に出ることができない身なりをしているのだから、勤め人としてはその質問が頭をよぎるのも当然だろう。
いやいや、文章を書いているんだけどねと言いながら、今書きかけのものを見せる。彼が目を丸くする。これ、全部自分で書いたんですかと問うので、他に誰が書くねんと答える。そんなことを繰り返しているうちに、この文章は先生のどこから出てくるもんなんですかと聞かれた。はたと困った。どこからなんだろう。
思うに、人生なのだろう。読んだ本、積み重ねた経験、笑ったこと、泣いたこと、楽しかったこと、苦しかったこと、あるいは寝ることができずに考えたこと…それらの欠片たちがおそらく文章という形に昇華しているのだろう。英語で書くものにしても日本語で書くものにしても然り。その意味では人生なのだろう。文章というものは。
すでに60歳になったのでと思う向きもあるだろうが、こちらはまだまだ生きる気力とエネルギーが充満しているので、残りの60年ほどをさまざまな読書や経験で埋め尽くしてやろうと考えている。それらが私の文章となり、多くの方々の人生にお役立ていただけるのであれば幸甚である。
それはそれとして、今日はいい日になった。明日も文章が頭に浮かべばいいなと願いつつ布団に入ろう。
木村達哉
追記
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