3月20日。春分の日。墓参りはすでに前日までに済ませたので、強風が冷たくてさくらが家にいたいと言うものだから(いや、そう言っている気がするので)まだ仕舞えずにいるこたつに入ってひねもすのたりのたりしている。
とは云え、ありがたいことにいろんな出版社から本を書いてくれとか、新聞社からコラムを書いてくれとかといったお仕事を頂戴するものだからのたりのたりしてばかりはいられない。文章を書くためにはインプット量がそれなりに必要なので、結果的には仕入れ、出し、また仕入れの日々である。
ただ、この焦燥感はどうだ。今の自分と成りたい自分との乖離が大きく、ひと様に悟られたくないほどに大きな焦燥感に襲われる。どうして食後に眠くなってしまうんだろうとか、なんでウォーキングの途中で屁が止まらなくなってしまうんだろうとかいった悩みとは違い、自己の内面と向き合うことになる。自分の脳なのか心なのかはわからないが、そういったものをじっと見つめることになる。
以前、私のラジオ番組に出演してくださった方が、退職後は悠悠自適ですかとおっしゃった。他人の目にはそう映るのかもしれないなとも思うが、内面と向き合いながら闘ってばかりいる。なによりもこの焦燥感。理想との距離が大きすぎて、ひねもすのたりのたりしながら闘っているのである。
与謝蕪村の見た春の海のように雄大であればいいのだろうけれども、小人の極みたる自分の現状を憂いながら、ただ今は学ぶ以外にないと諦め、そして本を開いてばかりいる。書斎に常々ジャズを流しているのは、ニューオリンズの黒人たちに魂を慰めてもらえるからだろうか。
見ているのは十年後。今のままでは死にたくないなという思いが強いものだから、十年先にある程度の自分になっていることを願って、今日もひねもすのたりのたりしている振りをしながら、行くあてなき道をふらふらと歩いているのである。
木村達哉
追記
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