小さい頃から小さくて、体が弱かったんです。うちの母が医療事務のバイトをしていた医院でぜん息の治療をしてもらっていたときのことです。治療と言っても今から考えれば、飲み薬を出してもらっていただけで、なんの検査をしてもらったわけでもないんですけどね。お医者さんから「20歳まで生きれるかなぁ」と言われ、倒れるほど愕然としたのは、おそらく高校1年か2年のときでした。
大学に入ってからは、神戸にある神鋼病院にお世話になりました。呼吸器内科にぜん息の名医がおられるということで、週1回、体質改善の注射をしてもらいに行っていました。なのに、大学3年生のとき、発作が大変で家から一歩も出られなくなりました。その年の夏の甲子園は全試合観戦しました。なにせずっと家にいて動けないのです。21歳が朝から夕方までテレビを観てるって、なかなかない経験でしょ。
母はいつも心配していました。「このままやったら働かれへんなぁ」と言って。私はそんな母の言葉に、なんだか申し訳ないなぁという気持ちでいっぱいでした。余計な心配をかけてばかりいるのって嫌じゃないですか。父も母もぜん息じゃないのに、自分だけ何故こうなんだろう、どうしてこんな体質になってしまったんだろうと、神を恨んだものです。
ある時、はたと気がついたのです。医者に頼って治してもらおうと思っているから駄目なのではないかと。自分でやるべきことがあるんじゃないか、ぜん息が出ない体にする方法がなにかあるんじゃないか、そう思い始めたのですね。
ぜん息について本を読み漁りました。どういうことをすれば発作が出にくくなるのか、治らないのあればどういうふうに付き合っていけばいいのか、私のぜん息のタイプはどういうものなのか、そもそもぜん息とは何なのか。
おかげで今では発作はほとんど出なくなりました。春先、PM2.5や花粉や黄砂が飛び交う季節になると、呼吸がしづらいなと思うことはあります。しかし、薬が良くなったことと体力をつけようとしてきたのが相乗効果を生んだのでしょうか、医者に行って点滴をしてもらったり、酸素吸入器のお世話になったりすることはなくなりました。
少しでも不安があればすぐにお医者さんに行くのも、自宅近くの甲子園五番町カイロプラクティック院に体には問題がなにもないのに行くのも、すべてはそのためです。カイロプラクティック院の福井先生は「体が問題ないのに来てくださるのは、自己管理という点で非常にいいです」とおっしゃっています。ですから、週に一度は「福井さん、また来たで」と、ドアを開けるのです。
酒はほとんど飲まなくなりましたし、煙草など言うに及ばず。自分で体調を管理し、病気にならないように気をつけていこうと思っています。体調が悪くなると、やりたいことができないし、行きたいところに行けなくなりますからね。健康第一です。健康のためなら死ねます。
成績の良い生徒たちは私を頼るのではなく、私を上手く使います。自分の弱点を自分で見つめ、それを潰そうとします。我流では潰せないので、私に質問に来ます。弱点を潰すのは生徒たち自身であって、教員は単なるサポート役。それは患者も同じなんでしょうね。医者を上手く使いながら、これからも健康に気をつけて生きていきます。
木村達哉拝