5月4日。円安がえらいことになり、さぞかし海外に行く人も減っているのだろうと思ったら、さにあらず、それなりにハワイは日本人でにぎわっているとの報道を読んで、なんだかんだで余裕のある日本人が多いんじゃないかと独り言ちている。良いことである。
かく言う私も秋に恒例の行方不明になろうと定め、ネットで東南アジアのホテルと飛行機を予約した。経験値を上げることは自己投資である。自己投資をケチるのは長い目で見ると得にはならない。などと御託を並べているけれども、そして日本は大好きなのだけれども、海外で過ごす1週間かそこらはいつも幸せな気分に浸れる。カネ云々ではない。そのために働いているのだ。預金通帳の残高にほくそ笑みながら死ぬのはアホである。
旅行会社で申し込んだわけではないのでオプショナルツアーに参加することは無い。バスや電車、あるいは街歩きを楽しみながら、その国独自の人々と文化を楽しむつもりである。街を見て、人を見る。ここにも人がいるんだなぁという気持ちに浸る。これが海外旅行の醍醐味であって、有名な観光地はおまけのようなものだ。
その国を見るのに一番適しているのは住宅地である。観光地ではない。以前、ハワイ島に行ったとき、小錦のお母さんではないかと思われるような大きい女性が腰にバスタオルのようなものを巻いて洗濯物を干し、その周囲で数人の子どもたちがキャッキャ言いながら遊んでいた。夕暮れ時だった。
近づいて、実は日本から来た旅行者で英語の教員をしている者なんだけれども、明日帰国するので思い出作りに協力してもらえないかとお願いすると快諾してくれた。子どものひとりを肩車し、彼のお兄ちゃんたちとお姉ちゃんたちと手をつないで海へ入った。極めて楽しいひと時であった。
台湾では通訳ガイドをお願いした。周さんという方が故宮博物院や龍山寺を案内してくれた。台湾と中華人民共和国の悲しい歴史について話してくれたのはいい思い出である。パリではルーブル美術館の警備員と喧嘩をしたけれど。相手はフランス語、私は関西弁で。
海外では現地の人と話す。現地の人が食べるものを食べる。現地の人が住んでいる場所を邪魔にならないように静かに歩く。英語がわからないときもあるけれども、それはそれ、大事なのはその人と意思伝達をしたいという気持ちである。わからなければわからないと言えばゆっくり身振り手振りで教えてくれる。
若いときにどうして就職なんかしちゃったんだろう。灘校時代の同僚たちが大学を出てから就職せずに世界を放浪していた話を伺うに、なんであっち側じゃなかったんだろうと悔しく思う。せめて、この年齢にはなってしまったが、時間の許す限りは地球のあちらこちらを見て回ろうと思っている。
木村達哉
追記
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