5月7日。しかしよくもまぁ「継続力」なんて言葉をサムネイルに使ったものだと、我ながら呆れている。真面目に更新しているキムタツチャンネルだが、いただいた悩み相談が「続けられない」というものだったので、そういうタイトルにしたのである(興味のある方はこちらをどうぞ)。
確かにブログもメルマガも執筆もなにもかも続けているのは間違いないし、動画のなかで話した「俯瞰力」については常日頃から意識していることではある。が、小学生3年生か4年生のときに、担任に毎日提出すべき学習日記を3日連続で提出できたといって表彰されたのは私である。
いまだに覚えている。終わりの会(終礼のことを耳成小学校ではそう呼んだ)で、担任の先生が「木村くんが学習日記をなんと3日連続で提出しました!今まで2日以上続いたことがなかったのです。みんなで拍手しましょう!」などと仰って、メダルのようなものを私の首にかけた。
担任の先生としては4日目以降も続けさせてやろうと思ったのだろう。みんなの前で褒め称えでもすれば、きっとこの子は明日以降も学習日記を提出するだろうと考えたのだろう。教師になった我が身である。痛いほどわかる。ところが子どもはそれほど甘くはないし素直ではない。私はそれ以後、ただの一度も提出しなかった。馬鹿にするのもいい加減にしろと思っていた。
動画のなかで話したとおり、絵の教室も習字の教室もまったく続けられなかった。要はつまらなかったのである。学習日記を強制され、絵の教室に通えと言われ、習字を習えと言われてやるような勉強など面白いはずがない。剣道と珠算が続いたのは面白かったからである。
それを考えると、このブログが20年ほど続いているのも、本を書くのを30年ほど続けているのも、きっと無意識のうちに楽しんでいるからであろう。沖縄のNPOも先生方相手のセミナーも然り。わくわくしているから続けられるのだろうなと、このポストを書きながら思っているところである。
キムタツチャンネルではエラそうに「人生を俯瞰して」などと語ったが、小学校4年生のときにいつかは死ぬことを知り、通学路で動けなくなった木村少年は、せっかく生まれてきたんだから幸せになってやろうと本を貪るように読んだ。えらくなってやろうと思った。えらくなったら貧乏から逃げられることを、野口英世をはじめとする多くの偉人たちが教えてくれたからである。
結局、ちっともえらくはならなかったけれども、2部屋しかない小さい家で家族4人が肩を寄せ合って生きていた貧乏からは脱却できたのだから、あながち間違いではなかったのだろう。そして、やりたいことを産みの苦しみを抱えながらも継続できているのだから、それなりに幸せなのだろう。
木村達哉
追記
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