5月27日。ある方から、毎日ずっと書き仕事ですかと尋ねられて、はたと考えた。確かに毎日それなりに文章を書いているが、これは仕事なのだろうか、と。仕事というのは常に対価、つまりそれなりのカネがいただけるものである。が、このブログやメルマガは仕事ではない。
文章をなんで俺が無料で書かなくちゃいけないんだよと言った作家仲間がいる。したがって、彼はブログもSNSもnoteもなにもやっていない。私は彼のことが羨ましい。嫌味ではなく、本当に心からそう思う。彼こそ正しい作家としての姿勢なのだろうと確信している。
浅田次郎先生が、作家たるもの無料で文章を書くべきではないと仰った。そうだと私は大きく頷いた。文章のプロが文章を無料で吐き散らかすのは、プロの歌手が無料で(たとえば駅前などで)歌うようなもので、一流がやることではない。プロはカネである。
私の場合、仕事でもないのにどうして書いているのかと思われそうだが、書くのは一種のカタルシスである。何を浄化しているのか。自分の精神をである。書いていないとイライラする。心が汚れてくる。書いてばかりいるが、かと言って仕事ばかりしているわけではない。つまりカネのためではない。
文章を書くことで、考えが整理できてくるという人もいるだろうし、インプットしたことが定着しやすくなるという人もいるだろう。私はそのどちらにも当てはまるのだけれども、それよりなにより気持ちが落ち着くのである。もっと言えば、文章を作っていることが幸せなのだ。
というわけで、週に6通のメルマガを書き、ブログを毎日書き、note(こちら)にも書き、SNSにも短い文章を書く。もっと上手く書けるなと思えば削除し、推敲してリニューアルさせる。そんなことを年がら年中繰り返しているから、私は気持ちよく過ごしていられるのであることに最近気が付いた。
ただ、そうは云っても書く仕事をもっともっとしたい。忙しいだろうからなどと遠慮せず、依頼していただければ幸甚である。書いてくださいというオファーは断らない。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。