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創造に必要な要素として

2024.06.07(金) 08:00

6月7日。長崎から帰宅。佐世保の場合、佐世保駅前から空港バスで長崎空港へ(約90分)。長崎空港から伊丹空港はおよそ70分なので移動時間はさほど長くない。毎朝4時半ごろには起きるので、始発の空港バスまではかなり余裕がある。飛行機がボンバルディアで揺れるものだから本が読めないのはつらいが、それを除けばナンてことのない移動である。

なのだけれども疲れる。寄る年波のせいかとは思うが、自宅の座椅子に座って、さくらが腹に飛び乗ってきた瞬間から意識がなく、気が付くと昼過ぎになっていた。やるべきことがないわけではないのだからと奮い立たせようとするのだが、体はうんともすんとも言うことを聞いてくれない。講演ツアーから帰った翌日はいつもこうである。

ただ、若い頃ならばここに怠惰極まれりと反省したものだが、この年齢になると年齢のせいにできるのがいい。もう還暦なんだからと、ひねもすのたりのたりする。午後から惰眠を貪る。たまに起きては小説を読む。眠くなったらそのまま目をつむる。夕方になって生産的な行動をちっともしていなくても罪悪感に苛まれることはない。今日の晩飯は何かなぁなどと考える。冷蔵庫を開ける。のびた君ライクに過ごすのであると書くとのび太君に叱られるか。そうしている時間に、新しい著作の企画が思いつくのである。

私の友達のコピーライターは年に50日ほどしか働かない。残りの300日ほどは寝て食って飲んで過ごしている。要するに50日で1000万ほどの収入を稼いでいるのである。γ-GTPの数値は本人いわく「メーター振り切っとるで」ということだが、300日の間にエネルギーを充満させているのだから大したものである。ものづくりはそういう時間が極めて重要かつ必要なのだ。

学校の教員もクリエイターである。「人づくり」が仕事なのである。のたりのたりの時間がないといい教育はできない。やれ書類だ、やれ採点だ、やれ保護者対応だと走り回っているような教師に良い仕事ができるはずがない。大切なのは授業であり、授業を通じた人づくりなのだ。

文科省はどうやら学校の先生方にもっと働かせたいようである。働き方改革という錦の御旗を掲げてはいるが、対応は極めて遅く、どうせ生徒が激減して数年以内に教師なんて余ってくるのだからと考えているのがバレバレである。その頃になって、とんでもなく知能の低い人間しか採用試験を受けなくなるようなことにならないことを願う。

人づくりしか手が残っていない我が国で、そのクリエイターである教員が不足しているというのは致命的ではないか。国の舵取りをしている永田町や霞が関のエライわりには鈍感な面々がそれに気づく頃にはもう手遅れになっているように思える。

木村達哉

追記
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