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人間の意思の力はその人が飲んだコーヒーの量に比例する

2024.06.08(土) 10:00

6月8日。沖縄で「九人脳」という演劇を観た話はすでに書いた。「だから言ったさ」で始まり、「コーヒーでもどうぞ」で終わる演劇のオムニバスである。9人の脚本家がそのルールに則って脚本を書き、選ばれた俳優たちが演じる。1本の持ち時間は15分から20分だっただろう。私の場合は演劇そのものより脚本をどうまとめているかに強い関心があった。

「だから言ったさ」は沖縄の方言である。東京のヒトが言えば「だから言ったじゃないの」に、大阪だと「せやから言うたやんけ」になる。要するに誰かを非難するときに使われる。一方で「コーヒーでもどうぞ」は、シーンにもよるだろうけれども、その真逆である。コーヒーはさまざまな場面で用いられるアイテムだが、「コーヒーでもどうぞ」はくつろぐシーンでしか使えない。

私がその脚本を書くとどうなるだろうと考えた。観劇の興奮が冷めやらぬうちにと、小さいメモ帳を開いた。筋書きや登場人物、その性格、家族構成など、考えることはいくらでもある。テレビのドラマや演劇の予定がある場合の脚本とは違い、こちらにはなんにもないのだから気楽なものである。とは言え、初めての脚本なので書き方がわからない。向田邦子先生や倉本聰さんの「寺内貫太郎一家」と「北の国から」を参考にした。

何日かの推敲を経て、読書家の友人たち及び家人に読んでもらったところ、なかなかの評判を得た。『新ユメサク』の共著者であるラサールの丸山先生から「これはすごい!」と最大級の誉め言葉を頂戴し、かなりいい気分にはなったが、残念ながら舞台の予定はない。しょうがないからこれをベースにして小説を書くことに決めた。

ところで気が付いたのだけれども、私のコーヒー消費量は半端ない。ジェームズ・マッキントッシュの言葉に「人間の意志の力はその人が飲んだコーヒーの量に比例する」というのがある。意志の力なのか考える力なのかはわからないが、なにかを考えているとき、なにかを創っているとき、私の右手の先にはいつもコーヒーがある。

コーヒーを飲む量が意志の力に比例するのであれば、中学生や高校生のときからコーヒーをもっと飲んでおくべきだった。そうすればもっとまともな知能になっていたことだろう。それにしてもコーヒーをテーマにした小説を書いてみるといろんな書き方があって面白いだろうなと、またぞろメモ帳を開いているところである。

木村達哉

 

追記
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