6月12日。地下鉄の列車内である私立校の宣伝を見ていた。兵庫県の中高一貫校である。校名の下には英語でNEVER GIVE UP CHALLENGING!と書かれていた。英語を知っている人であればこの表現には瑕疵がある、つまり非英語であることはわかっていただけるはずである。
おそらく「挑戦をやめない!」という意味にしたかったんだろう。一番簡単な英語ならDon’t give up trying.だろうけれども、少なくとも「人に挑戦する、意義を唱える」場合に使うchallengeという動詞は使わない。使うとすれば名詞として使い、Don’t give up on a challenge.(内容によってはthe challenge)とする。
英語と日本語にずれがあるのは全く別の言語なのだから当然である。いずれも軟質の言語なので、外来語を受け入れやすい。英語には多くの日本語がある。sukiyakiやsakeなどはご存じかと思うが、Tenno(天皇)やkuruma(人力車)まで入り込んでいるのは驚きである。そのうちTenno osshatta that he now kenens the kankei between Kokkas.(天皇は国家間の関係を懸念していると仰った)などという英語が登場するかもしれず、そうなれば喜劇である。
言語の中に外国由来の単語や表現が入ってくるのはグローバル化とともに増えるのだろうけれども、ニュアンスの違いを理解することは大切ではないか。特に先に触れた学校の宣伝の場合、この学校にいくと英語はまずいことになりそうだなと思う保護者もいることだろう。英語科の先生方にどうして尋ねなかったんだろう。
息子が受験をするとき、私にしては珍しく一緒にオープンキャンパスに出かけたことがある。登壇した先生が英語の授業について具体的に説明なさったあとに、次のようにおっしゃった。「本校ではワンツーマンの指導を大切にしています」と。最初は聞き間違えたのかと思ったが、何度も何度もおっしゃる。その英語科主任はずっとone two manだと思っておられたのだろう。こんな英語が存在しないのはおそらく中学生でもわかると思うのだけれど。その学校は受験しないことに決めた。
歌い手の歌詞の中に頓珍漢な英語が出てくることが多々あり、誰かに聞いたらよかったのにねぇと言っているうちは罪がなくていいのだけれど、学校の宣伝文句で間違えるとけっこうな痛手を被るのはその学校であり、入学した生徒たちである。会話中の多少のミスは目をつむりながら意思伝達をするのは当然として、書きものの場合には何重にもチェックしたい。
ちなみに私の著作はイギリスとアメリカのチェックが何度も入る。自分の書いた文章がどんどん変わっていくのは悲しいが、こちとらノンネイティブなので、素直に受け入れることにしている。イギリスとアメリカでは英語が異なるが「ここはおかしい」という点だけは一致しているものである。
木村達哉
追記
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