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今の生徒は大変だ

2024.06.14(金) 07:00

6月14日。家人が熱を出した。それほど風邪をひかない人なので、体温計に表示される38だの39だのという数字を見て驚いたのは私のほうである。彼女のおかげで執筆に専心邁進できるのであるが、その状態では私が家事をやることになる。寝てもらって早く回復していただきたい。家族および私の健康がなにより大切である。久しぶりに皿を洗い、洗濯をした。

医師に診てもらうと幸いにしてインフルエンザでもコロナでもないということだから、抗生物質と熱さましを飲んでひたすら寝るしかない。布団に入って寝ていたら汗だくになる。そうしたらほとんど必ず熱は下がる。

子どもの頃から体が極めて弱く、喘息やら発熱やらでしょっちゅう学校を休んだ。喘息は、今なら良い吸入の薬があるので一瞬で治まるが当時は待つしかなかった。呼吸ができる瞬間が訪れればいいなと思いながら本を読み続けた。三日もすれば立てるようになった。

発熱は布団にくるまって汗を出すに限る。水分を信じられないぐらい摂り、熱さましを飲んで汗をかく。夏でも冬でも分厚い布団にもぐりこんで汗をかくことだけを考える。これ以上寝るのは無理だと思っても布団をかぶってだらだらと汗を流していた。二日もすれば熱は下がった。今でも熱が出たらこの作戦である。鍵を握るのは水分と布団だ。

高校のときは仮病も含めて一年に70日ほど欠席した年度がある。ただ、うちの父も母も、ため息こそついていたけれども、学校を休むなとは一度も言わなかった。学校の先生だって、面倒くさいやつが欠席してくれたと喜んでいるのか、自宅に電話をかけてくることはなかった。おかげで心静かに汗をかいていた。

私がいま高校生なら、不登校だのなんだのと言われていることだろう。いくらそうではないと主張しても信じてもらえず、職員会議の餌食となっていることだろう。学校の先生方から電話が相次ぎ、大丈夫か、明日は来れそうか、心配しているぞなどと言われてうんざりしていることだろう。

いい時代だった。そして、いい家に生まれた。当時は不登校という熟語がなかったものだから、自分は不登校生徒だというレッテルを自分に貼ることがなかった。私と同じように学校に行っていない生徒たちも、退学するのもいたけれども、呑気なものであった。学校は学校、人生は人生と割り切っていたし、時期がくれば自分の責任で勉強するわいと思っていた。

受験だって、どうせ浪人ぐらいはするんだろうけれど、浪人の一年二年なんてどうってことはないと誰もが考えていた。大学だって何年行ったって構わない。学費は大変だけれども、その程度の学費ならバイトをすればいい。就職なんてしようものなら資本家の奴隷になるのだから、それまでは自由に人生を謳歌し、経験値を高めたい。そう考えていた。

ああ、今の生徒は大変だなと思う。もっと呑気に、気楽に、眉間にしわを寄せずに生きればいいのになと。家人が風邪をひいて唸っているときに思うことではないのだろうけれど。

木村達哉

追記
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