BLOG / ブログ /

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 家事が嫌いではない理由は

家事が嫌いではない理由は

2024.06.16(日) 07:00

6月16日。ようやく家人の熱が下がったのでほっとする日となった。家族に病人がいるのは大変である。大変と云っても私の場合は洗い物をしたり洗濯をしたり料理ともいえない程度の食事をこしらえたりする程度の大変なので、世の奥様方がご覧になれば、どこが大変ですのということになるんだろうけれど。

小学生の頃、家に帰っても父と母はいなかった。いわゆる鍵っ子であった。我が家では子どもの仕事は明確で、ひとつには朝飯の洗い物をしておく、ふたつめには風呂を沸かして両親が帰るまでに子どもは風呂に入っておく、そしてみっつめは母が仕事から帰ったらすぐに晩ご飯が食べられるようにコメを炊いておくというものであった。

今とは違い、スイッチひとつで風呂が沸く時代ではないので、それなりには大変であったが、かといって薪を割るほどの田舎ではなかったので小学生とは云え重労働ではなかった。食器洗浄機もスイッチひとつでコメが炊き上がる炊飯器もない時代ではあったが、洗い物とコメを炊くのは嫌ではなかった。むしろ上手く洗うための方法や美味いコメを炊き上げる方法を考える小学生だった。大学時代のバイトでは「皿洗いがかなり上手い」と変な褒められ方をした。

中学にあがるとその三つに「洗濯をしておく」と「掃除機をかけておく」が加わったが、部屋が二つしかない家だったからなんてことはなかった。母の大きいパンツを干しながら、子どもに洗わせるもんじゃないよなぁと苦笑いしつつ、でも両親は働いているのだからしょうがない。時間を惜しんで勉強するタイプでもないので、家事はいい気分転換だった。

これらのルールのおかげで、六十歳になった今も家事のハードルはまったく高くない。ただ、普段あまり手伝わないのは専門領域に入ってこられるのは嫌だろうなと思うからである。家事の分担が若いご夫婦の間で話題になって久しいけれども、狭い台所に二人も入って作業をするのはむしろ効率が悪い。むしろ任せておいてもらったほうが気楽である。

子どもの頃から誰にも手伝ってもらわずに水仕事をしたり洗濯をしたりしたものだから、家人があれこれしているのを横目で見ながら、手伝ってほしければ手伝えと言うだろうと、逆に邪魔するのも申し訳ないよなと、思いながら本を読んだりさくらと遊んだりしている。

またぞろ家人は発熱前に戻ってあれこれ家事をやり始めた。そんな彼女にまだ寝ていていいよと申し上げたのは、彼女に対する優しさ半分、もう少し家事をやっていたいなという気持ち半分である。

木村達哉

追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。