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河合塾K君を偲ぶ会

2024.06.30(日) 10:00

6月30日。以前も書いたが、3月に河合塾のK君が急逝した。灘校時代からお世話にはなっていたが、退職したあとはゴルフ仲間となった。その点で、友人のひとりだった。まだ40歳だった。まだ年端も行かない末っ子を含めてお子さんが3人いた。要はこれからというときに、彼は旅立っていった。

昨年の秋、彼からいつになく真剣な文面のLINEが届いた。河合塾からも本を出してもらえないかというものであった。河合文庫の社長と一緒に来てくれたK君に、どういう本を書いてほしいのかがわかる企画書がないと書くに書けないという話をした。彼の最後のLINEは「企画書ができ次第、すぐに伺います!」だった。私の「よろしくね!」に対する返信は未だない。

今日は河合塾の校舎で彼を偲ぶ会が開かれた。河合塾の方々だけでなく、彼の前職の企業の方々や学校関係者も多数参加していた。彼がドライバーを構える写真を見て、なんとも言えない気持ちがこみあげてきた。元同僚が話しかけてくれなかったら、もしその場でひとりだったら、きっと遠慮なくぽろぽろと涙をこぼしていたことだろう。

甲陽学院高等学校の先生が、『ユメタン』使っていますよと声をかけてくださったが、うまく笑顔を作れなかった。河合塾の方々がブログ読んでいます、メルマガ読んでいますと言ってくださったのに、ろくにお礼を言うことができなかった。なんだかずっと彼のこと、そして自分の人生を考えていた。

退出する際、K君の奥様にご挨拶申し上げた。キムタツ先生の絵本を買いました!と言ってくださった。奥様と、その向こうで笑っているであろうK君に頭を下げた。彼の人徳で集まった多数の人たちが口々に河合塾に対するお礼を言いながら部屋を出ていった。死の数時間前まで笑顔を見せていたというK君のことを想って、いつお迎えが来てもいいようにちゃんと生きようとみんなが思っていたのではないか。

人が死んだときにしか会えないのはどうなんだろうねと灘校の元教頭と話したが、人間ってのはそういうものなんだろうな。だとしたら、私が死んだときはどういう人たちが集ってくれるんだろう。私の人生を振り返りながら、しっかりと生きようと、木村みたいにしんどくても馬鹿みたいに笑って生きようと思ってもらえる人生を私は生きたい。

会を開催してくださった河合塾の方々に心よりお礼申し上げます。そして、素敵な友達だったK君のご冥福をお祈り申し上げます。もう一度、彼とゴルフがしたい。

木村達哉

追記
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