7月4日。埼玉県草加市の教育委員会主催の講演会に登壇した。オーディエンスは医師、看護師、教育委員会の方々、学校の先生方、保護者。他県や他市からわざわざいらっしゃった方々も多かったようだ。開始前に医師会会長や教育長が控室にわざわざ足を運んでくださった。いつもの漫談ライクな講演をするわけにはいかないかもしれないなと、アテンドしてくれたアルクの植元君に話しかけると静かに頷いていた。
内容は私が教員時代に出会った不登校生徒や発達障害生徒たちとの日々について語るというものであった。彼らの中には残念ながら退学していった生徒たちも多いけれども、だからといって人生そのものが壊れるわけではない。指導者として、灘校では上手くいかなかったかもしれないが、人生を俯瞰し、どういう勉強をしていくのかを彼らに話した経験について語った。
また、そういった生徒たちに向けて『あなたのちからになりたくて』という絵本を作ったという話もした。すでに持っている方々も多かったようで、私の話に頷いている人たちが多かった。
かく言う私だって高校時代は年に70日ほど欠席した年がある。当時は不登校という熟語がなかったものだから、大して問題視されなかったように思う。その証拠に担任からの電話はただの一度もかかってこなかったし、両親は学校に行けとは言わなかった。家にいて大好きな小説を読み、わからなかった英文法の箇所を勉強していた。貴重な時間だった。
今の子たちのようにゲームだのスマホだのは無かったけれども、それが良かった。自宅は部屋が2つしかなかったのに本があふれていた。ある時は太宰先生の、ある時は芥川先生の、ある時は遠藤先生の、それぞれお世話になり、学校に行くよりもっとリラックスして多くのことを学んだように思う。おかげで今の私がある。
帰りに植元君と教育についてあれこれ話したが、以前のように「いい大学に入っていい企業に入れば安泰」な人生など今は存在せず、大学や病院が倒産するような時代なのだから、自分をどう構築してどういう勉強をしてどういう力を身に纏っていくのかを考えるのは自分の責任だ。もう十年以上生きているのにゲームばかりしている阿呆であってはならないと考える。
学校に行くか行かないかも自分で判断すればいい。大事なことは登校そのものではない。しっかりと学ぶかどうかの一点である。その点で、不登校だからといってダメだとか、ましてや発達障害と診断されたから凹むとかではなく、せっかく生まれてきたのだから幸せに生きられるように、変にカネに困ったりしないように、他の人たちに笑顔になっていただけるように、自分の力を涵養するのみである。
木村達哉
追記
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