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神様論

2024.07.15(月) 04:00

7月15日。東京日帰りの翌日。かなりの疲労を覚悟したが、意外なことに体調がよくて体が軽い。今月初旬から続いている蕁麻疹もどうやら私の体に飽いてきたようで、少しずつ抜けてきた。あと二、三日もすれば完全によくなるだろう。いまだに何が原因なのかわからない。ストレスとはほぼ無縁の生活を送っているから、考えられるのは暑さか、あるいは。

そういえば人生最後の厄年だから、神社へ行って厄除けをお願いしないといけないねと家人と言っていたところである。すでに厄年も半分終わったのだからどうでもいいんじゃないかという気もするが、そんなことを言っていると神様からそっぽを向かれそうな気もする。今週の富山行脚が終わったら近所の小さな神社でお願いすることにしよう。

近所の神社にはさくらの散歩で行ってはいるものの、ここのところ何年も初詣には行っていない。関西人が大切にしているえべっさんには毎年行くけれども、西宮神社のまぐろに10円玉を貼り付けるだけで本殿に手を合わしたためしはない。決して神様を信じていないわけではない。神様が神社にいるという感覚がない。神様は例えば森におられたり、海におられたり、グラウンドにおられたり、本棚におられたりする。昭和生まれの人間にはこういう考えの持ち主が多いのではないか。

それぞれを大切にしなければ必ず罰が当たる。野球部の生徒たちにはしたがってしっかりグラウンド整備をするよう言っていたし、本棚の整理をするのも然りである。自然を汚すとなんだか気分が悪いのは神様に睨まれているからである。神社にもおられるだろうが、神社だけが神聖なわけではないと考える古い人間なのである。

実は今回の蕁麻疹も、だからなにか罰が当たったのかなと思っている。飛行機に乗る前には空の神様に頼みまっせと声をかけ、講演会場に入る際には一礼を欠かさないのだが、どこかで何かを忘れてしまって神様を邪険に扱ってしまったのかもしれないな。草加市に行った帰りからおかしくなったので、どうも埼玉で不義理をしたか。

馬鹿馬鹿しいと笑う現代的な方々もいらっしゃるだろうが、小学校一年の頃から道場に入る際に一礼をし、グラウンドには一礼をし、授業をする際には教室にもペコリとおじぎをしてきた人間なのである。常に神様を意識しながら生きてきたものだから、今更それはおかしいと笑われたって変えようがない。

人込みが嫌いだから初詣には行かないが、新年を迎えた瞬間には神様に今年もよろしく頼みますわと声をかける。誰かになにか良くないことが起こったときは八百万の神々に祈りをささげる。そして沖縄や広島や長崎に足を運んだ際には、これ以上の過ちを人間が犯すことのないよう見守ってくださいやと声をかける。

祈りとはそういうものではないかと私は思っている。神社でだけ、自分にとって都合のいい願いを叶えてくれと小銭を差し出すのはどうにも下品ではないか。

私のようなことを全員が言っていると神社の経営が逼迫するのであまり口に出しては言わないけれども、私はそんなわけで本が床に置いてあると気になるし、部屋が乱雑になっていると気になるのは、神様に睨まれているような気がするからであって、私自身がきれい好きだとか道徳心が高いだとかいうことではないのである。

木村達哉

追記
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