7月25日。今回の沖縄、有意義だったんだけど、唯一のbad pointは漏電で給湯器が壊れ、お湯が出なくなっていたことだ。お湯が出ないということは、つまり風呂どころかシャワーさえ浴びることができなかったということ。クソが付くほど暑い沖縄でシャワーが使えないというのは「唯一のbad point」などと悠長に構えていられるわけもなかった。
が、日本には、したがって沖縄にも、銭湯があるじゃないか。銭湯は、古くは仏教伝来の頃、つまり6世紀だけれども、僧侶たちが身を清めるため寺院に設置された浴堂が起源だと言われている。中世に入って鎌倉時代、庶民にも無料で開放する寺社が現れた。のちに入浴料を取るようになったのが現在の銭湯につながっている。
最近ではどの家にも風呂があるので銭湯の数も減っているらしい。が、その割には自宅近くにあるスーパー銭湯の駐車場はいつもいっぱいである。みんな広い風呂が大好きなんだろう。沖縄の人たちは90%以上が風呂に入らないらしいが、シャワーだけではどうにも寝つきが悪い。暑い夏でも風呂には入りたい。
お湯が出ないのだからしょうがない。銭湯に日参することになった。外国人が多いのは観光客というより軍人さんたちなんだろうか。広い風呂で足を伸ばす。日頃の疲れが、まぁそれほど疲れていないのだけれども、取れるというものだ。昔に比べれば高くなったけれども、たまには家風呂ではなく銭湯に入るのもいい。
子どもの頃、共働きだった両親が二人とも帰ってくるのは23時頃。私と弟の仕事と言えば、コメを炊いておくこと、風呂を沸かして入っておくこと、朝ごはんの洗い物をしておくことだった。今と違ってボタンひとつでお湯が入るわけではなかった風呂をよく空焚きして焦ったものだ。
家風呂は狭くてシャワーなどなかった。年に何回か、父が銭湯に連れていってくれたのが本当に嬉しかった。風呂桶は黄色いプラスチック製で、赤い字でケロリンと書かれていた。ケロリンは富山発祥の頭痛薬である。ケロリン桶が奏でるカーンだかコーンだかわからない音が銭湯に響き渡っていた。当時は入れ墨をしていても銭湯に入れたものだから、近くのやくざ者たちがよく来ていた。指のないのもいたが、風呂ではみんなが平等だった。父と連中は博打の話で盛り上がっていた。
沖縄でNPOを始めて十年以上経つが、銭湯に通ったのは今回が初めてだった。お湯が出ない?申し訳ありません!と大家さんは謝っておられたが、沖縄と銭湯の組み合わせを経験できたのはよかったように思う。今日のポストの最初にbad pointとは書いたけれども、実際にはお湯がでなかったもgood pointだったなと思い返している。
木村達哉
追記
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