8月4日。娘の誕生日につき、今は広島にいる彼女におめでとうのLINEを送った。何歳になったのかなと思っていたが、父親が娘に年齢を聞くのもなぁと思っていたら向こうから「30歳になったわ」と送られてきた。彼女が生まれたとき、我が家の借金額が6000万もあって大変だったのだけれど、そうかあれから30年経ったのかと当時を思い出していた。
生きているといろんなことがある。学校や職場に行きたくなくなったり、ベッドから出たくなくなったり、親をぶん殴りたくなったり、生きてるってなんやねんって思ってむなしくなったり、職場に足を踏み入れるとびっくりするほど汗が出てきたり、ここから飛び降りると楽になるのかなぁなんて思ったり。全部これ、私が今まで経験してきたことである。
それでもせっかく生まれてきたのだから、死ぬ瞬間までは笑顔でいれるためにどうすればいいのかなと考えてきた。なにより大切なのは健康だ。健康は心と体の両面が元気であることだ。いくら体がタフだったとしても精神的にきつかったら幸せではない。それに、心がしんどいとそのうち体もしんどくなる。
カネがないというのも幸せではない。日本ではカネの話をすると、やれカネの亡者だとか、やれ意地汚いとか言う人がいるが、そんなのに限ってカネのことばかり考えている。冷静にカネがどうすれば入って、死ぬまでに困らない程度のカネを手に入れるにはどうすればいいのかを考えるのは健全な姿勢だと私は思っている。
やりたいことをやって生きるのも幸せに暮らす大切な要素だ。でも、そのためには、何をやっているときが自分なのかをしっかり認識しておかないといけないよね。やりたいことをやって生きるぞと言って寝てばかりいても幸せではないし、どうせそのうち何兆年も寝続ける日がやってくる。楽器を弾いているときなのか、本を読んでいるときなのか、人と話しているときなのか、人によって幸せは違う。
しんどいなと思うことばかりの人生だけれど、幸せに生きないと生まれてきた意味がないように思う。そして幸せに生きるために努力することは自分の責任で、他人に頼ることもそりゃ時には必要だけれどもその他人だって自分のことで必死なのである。それを考えると、頼れる人には頼るにしても、やはり自分でえいやー!と頑張らねばならない。
そんなことを考えてとりあえず六十年生きてきた。あと何年かなぁと思うが、それは神様がお決めになることであって、我々のような一般人が考えることではない。安倍さんのように背中から撃たれる可能性もゼロとは言えない。いつ向こうの世界に行くことになっても、まぁまぁ納得やなと思う人生をこれからも生きようかな。
リアルタイムで苦しんでいる人たち、特に未来が見えない子どもたちへ。人生はしんどいよ。でもな、ここかしこに愉快なかけら、楽しいなかけらがぱらぱらと転がっているからね。幸せのかけらを拾いながら生きるねん。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。