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二人の「東大生」からご指摘いただき

2024.08.15(木) 09:00

8月15日。終戦記念日だから戦争について書くべきなんだろうけれども、ブログは日記であって、起こったこと、行ったこと、考えたことなどを書けばいいのである。新聞のコラムではない。熱にうなされるというほどの熱ではないにしても体調も大して良くない中で考えたことについて書こう。

先日、あるお二人の「東大生」から文章についてご指摘を賜った。東大生がカッコ付きなのは、すでに卒業された方々だからである。別に東大や京大を出ているから文章について造詣が深いというわけではない。東大京大卒の国語科教員であっても文章を書かせたらまるで大したことがないというのも多い。そんなのは文章を書く力とは無関係である。

が、そのお二人は違う。どう違うのかを文章で表すことができないのが私の残念なところではあるけれども、知性も教養も、ついでに言うなら人生経験も豊かで、私などは常に見下ろされるべき存在である。そんな方々がどうして私のところにしょっちゅうしょっちゅういらっしゃるのか全くわからないが、年上の方々から見ると心配で心配で見ていられないのだろう。

別々の機会に、お二人の「東大生」からご指摘をいただいた。私の文章の「癖」についてのものである。作家というと小説家を指す方が一定数おられるが、それは完全にその方の思い込みで、作家には和傘作家もドラマ構成作家もいらっしゃる。私の場合はチャンプルーで、英語の文章を書いたり絵本を描いたりエッセイを書いたりしてきた。小説は現在進行形が始まったばかりである。

メルマガの文章、ブログの文章、フェイスブックの文章、noteの文章、これらはどれもよく練られていて面白いのに、〇〇だけに「気取り」が見られるのはどうしてかとのご指摘であった。う~ん、鋭い。言い返せず、フリーズした。

女性の先生からは「いつもどおりで」とご指摘を頂戴した。男性の側からは「木村さんの生き方を文章にぶつける」ことが大切だとご指摘を賜った。そうか、そうだったのかと天を仰いだ。結局そうすると英語の文章も絵本もブログもnoteもぜんぶ同じなんだな。

日本語の文章を毎日一万字以上書きながら、知らず気取っていたんだなぁと、そしてそれはもしかしたら自分でも「作家なんだから気取らなければ」という意識がどこかにあったのかもしれないなぁと、富士山よりも高く、マリアナ海溝よりも深く反省した。そしてもっと勉強しないといけないなという気持ちを強くした。

書いたものを少し見直してみた。確かにそうだなと思う。ここかしこにある「気取り」というささくれを除去していこう。まずはそこからだ。

木村達哉

追記
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