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久しぶりの水上勉

2024.09.12(木) 08:00

9月12日。水上勉って知ってるか、親戚らしいねんけど小説家やねんて。子どもの頃、幾度か母から聞かされた言葉である。本の虫とまではいかないまでも小学生の頃から太宰治や芥川龍之介、遠藤周作や開高健の本を愛読していた私なので、水上勉の名前ぐらいは知っていた。読んだことはなかった。母が言うので、近所の疋田書店で1冊買った。彼のどの作品だったかは忘れてしまったけれど。

親戚に作家がいるというのは本好きにとって刺激的で、いつか会えるものと思っていた。親戚の集まりがあると必ず参加したが、遠い親戚ということもあり、お会いできなかったのは残念でならない。文章を書く際にどういうことを考えているのか、インプットやレトリックについてはどうか、そもそも普段の生活をどう過ごしているのか、お聞きしたいことは山のようにあった。

自分が物書きになり、また物書き仲間たちと話すにつけて、文章を書いて糊口をしのいでいる人間もなんだかんだで同じ人間なんだなぁとわかるようになった。ただ、文章や文字に対するアンテナがほかの人たちより恐ろしく敏感な人が多いのだけど。それにしたって音楽家が音に敏感であったり、営業をしている人が人の動線に敏感であったりするのと同じである。水上さんもきっと。

言葉や文章に敏感な人が文筆家になるわけではないようだ。文筆業に携わって言葉を紡いでいるうちに、自分でも驚くほど敏感になってくるのではないか。とりわけ無遠慮な編集者が担当になると、こちらの書いた文章にどんどん赤を入れていきやがる。いらいらすることもあるが、書いた文章の欠点を添削してもらっていると思えばいい。プロとプロの戦いなのだけれど、勉強にはなる。そんなことをしているうちに鍛えられるのである。

思うところあって、小学生だったかのときに読んだ水上勉の著作を2冊買ってきた。あのときは自分も水上さんのように直木賞、菊池賞、谷崎賞を総なめにするような物書きになりたいと思っていたのを思い出す。違う畑には進んだけれども、初心にかえるつもりもあって読み始めた。私が書くとこの部分をどう書くだろう、私が書くとこの段落構成はどうするだろう、当時とは違う読み方をしているが、気持ちは小学生の頃の自分のそれである。わくわくしながらページをめくっている。

木村達哉

追記
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