BLOG / ブログ /

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 昭和

昭和

2024.10.03(木) 06:00

10月3日。そういえばシンガポール行きの荷物に詰めた紙の本は一冊だけだった。キンドルには何冊もの本が入っているのだが、どうしても紙のほうが読みやすい。特に機内では紙のほうが圧倒的にいい。あれこれ考えた挙句、選んだのは向田邦子先生の『隣りの女』(amazonに飛びます)だった。

昭和ひと桁生まれの彼女が書いた作品は、たとえば『寺内貫太郎一家』や『あ・うん』が代表的なのだろうけれども、テーマは家族である。作品のなかには「ミシンを踏む音」「シュミーズ」「浴衣地のアッパッパ」など、若い人たちは知らないかもしれないものがたくさん登場する。が、文章そのものは古くさくなく、改めて読むと新しい発見がある。

海外に持って行くのに海外文学作品を持っていくよりもむしろ日本的な本がいい。書斎の本棚の前に立ち、やはりこれかと選んだのが何度も読んだ『隣りの女』だったのである。シンガポールにいる間、暇な時間に読もうと思ったら行きのフライトでほとんど読んでしまった。そして何度も本を閉じて、子ども時代の日本を思い浮かべた。

この画像にある金だらいだって知らない人のほうが多くなったのではないだろうか。拙宅の前の道路は舗装されていなかったし、当時はエアコンではなくて日本中がクーラーと呼んでいたものが設置されたのは小学生か中学生の頃だった。テレビはカラーになり、二階建ての家が増えていった時代である。

がんばれば自分もカラーテレビが買えるかもしれない、がんばれば二階建ての家に住めるようになるかもしれない、がんばれば、がんばれば、がんばればとみんなが思っていた時代である。つまり、今とは真逆の、右肩上がりの時代だった。テレビの中では長嶋茂雄がサードゴロをさばいて王貞治に投げていた。

当時のほうがよかったというつもりは一切ない。当時のほうが理不尽なことは多かったはずだし、当時のほうが不便であった。新幹線は岡山までしか行っていなかったのだから移動だってものすごく大変だった。でも、なんだかがんばればもっと上に行けるという予感があり、だから我々子どもたちも勉強した。えらくなるために。カネを稼ぐために。

その点で、今のほうが合理的だし便利なんだろうけれど、未来に対する期待感は当時のほうが高かったように思う。母がミシンを踏む音が毎日聞こえてきた。それをBGMに九九や漢字を覚えていた。貧しかったのは間違いない。けれど、だからこそ、やってやるぞという気持ちでいっぱいの子どもが多かったのではないか。そんなことを向田先生の『隣りの女』を読みながら考えていた。

木村達哉

追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。