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くるちの杜100年プロジェクト音楽祭に備えて

2024.10.13(日) 08:00

10月13日。沖縄に移動した。明日に備えるためである。宮沢和史さんと平田大一さんが中心となって「くるちの杜100年プロジェクト」が進み、すでに3000本以上のくるちの木が読谷村に植えられてきた。三線の棹になる木を輸入に頼っているのが現状で、なんとかしなければと宮沢さんたちが立ち上がったのである。

2年に一度行われる「くるちの杜100年プロジェクト音楽祭」が明日行われるのはすでに何度も書いた。私はスタッフでも演者でもないけれども、お二人に行きますと申し上げた手前、何があっても参加しなければならない。

思えば10年以上前、沖縄で活動を始めた当初は友達になってくださる方が誰もおらず、逆に「どうせ本を売りたいんでしょ」と言われることもあった。飛行機代も宿泊費も馬鹿にならず、ボランティアで活動しているというのにひどいことを言われるもんだなと珍しく落ち込んだ。

ある時、弾けもしないのに三線を買った。今から思えば神様の思し召しとしか思えない。楽器店でもらった薄っぺらい教則本にしたがって練習を重ねた。三味線弾きであった伯母の影響なのか、それとも学生時代に音楽をやっていたのがよかったのか、とにかくそれなりには弾けるようになった。最初にマスターしたのは「島唄」だった。

翌月、那覇空港に降り立った私はその三線を抱えていた。そして勉強会や講演で訪れた学校で披露させてもらった。みな、目を丸くしていた。私に「どうせ」と言った当の本人が謝ってこられた。三線のおかげでどんどん友達は増えていった。音楽の素晴らしさを体感することになった。

その後、灘校の修学旅行や保護者会でも披露させてもらった。修学旅行では三線に合わせて「海の声」を全員で歌ったのは懐かしい思い出である。灘校生たちの中にも三線を始めるものが現れた。休み時間には三線談義に花を咲かせることになった。

三線の棹になる木がないのである。私の力など微力ではあるけれども、せめて宮沢さんと平田さんの活動をお手伝いさせていただこうと思っている。100年後の沖縄に、否、沖縄だけでなく日本じゅうに、国産の木で作られた三線を演奏する人たちがたくさんいらっしゃればいいのだけれど。

木村達哉

追記
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