10月23日。オフで特に何の用事もない。とは言っても、勤め人時代とは違ってオフもオンも自分で決めることになる今の身分としては、果たして自分にオフなどあるのかなと思う。実際、今日だってスマホでくだらない動画を見ている時間以外は仕事や仕事のようなことをしていた。
働くのがどうも好きになれなかった木村少年は物書きになろうと決めた。中学3年生のときである。物書きは朝何時に起きても夜何時に寝ても、文章さえ書いていればいいとある作家の文章にあった。今では考えられないぐらい朝が苦手だった木村少年は、なんて素敵なんだろうと思い、物書きワールドに浸ることにした。
遠藤周作先生のエッセイに、物書きになるのに資格など要らないし才能も要らないとあった。原稿用紙にひと文字目を書いた瞬間に「我こそは物書きである」と名乗っていいと書かれてあった。勤め人は作家にはなれないともあった。ぐうたらな人間にしか作家にはなれないと。木村少年はとんでもなく嬉しくなって、近くの文具屋に走り、感想文を書く宿題が出たとき以外は見向きもしなかった原稿用紙を買ってきた。
「僕は」と書いてみた。日記みたいやなと思って消した。「その男は」と書いた。芥川龍之介の『鼻』みたいでいいぞと思い、続きを書いた。気が付くと何枚にもなっていた。初めて書いた小説である。もちろん、その小説は翌日にはごみ箱に捨てられていたけれど、文章を書いて生きるのっていいなと思った。中3の秋ではなかったか。
遠藤周作先生が慶応のフランス文学科と知って、そこを目指すことにした。結果、浪人しても合格しなかった私はまさに遠藤先生と同じで受験には縁がないなと思ったけれども、どうやら物書きになれそうな関西学院大学に入学した。原田マハさんをはじめ、優れた物書きの方々を輩出するようになったのはその随分あとのことである。
教員になり、途中からやはり文章を書いて生きようと思うに至った。今は売り手市場で学歴さえあれば就職しやすいし、優秀な人たちは外国企業に就職するそうだけれど、不安定なこの物書きという仕事には向いていると思う。一日中文章を読んだり書いたりしていても飽くことがない。教員時代のように、早く帰りたいなと思うこともない。どこにいても文章に触れていられるのは幸せである。レトリックが上手く書けないときは悔しいけれど、いらいらすることもない。
今日はオフ。でも、オフなのかオンなのかよくわからないなと思いながら過ごした。物書きという仕事を選んだのは正解だったし、とても幸せである。これで締め切りがなかったらもっと幸せなんだろうけれど。
追記
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