11月16日。先日のブログに京都の塔と書いたところ、京都の方からご連絡を頂戴した。それはいったいなんですかと。京都の塔は嘉数高台公園の展望台横にある。沖縄戦はなにも沖縄の方々だけがお亡くなりになったわけではない。全国各地から集まってきた若い人たちが戦い、そして命を落としたのである。
京都の塔は、郷土に思いをはせ、日本の勝利と興隆を念じつつも砲煙弾雨の中に倒れた京都出身の将兵2500余名のご冥福を祈るために建立されたものである。糸満市には山形の塔や東京の塔もある。私の故郷、奈良は平和祈念公園の中にある大和の塔である。のじぎくの塔は兵庫、なにわの塔は大阪である。
県外から平和学習の一環として沖縄を訪れる修学旅行生は多いが、それぞれの県出身の若者たちを祀る塔に手を合わせる学校は少ないのではないだろうか。ひめゆりの塔や平和祈念公園に足を運ぶのもいいが、せっかく沖縄にはそういう場所があるのだから、それぞれの県の塔を訪れてもいいのではないか。
なかには、こんなところにと思う場所にある塔もある。車を停めたくても停められないじゃないかという場所にある塔も。それでもせめて祖国のために戦って散っていった若者たちへの無念さには、車中からであっても頭を下げたい。広島の平和記念公園ではないが「過ちは繰り返しませぬ」とつぶやきながら。
暴力が肯定される昨今である、と書くと意外に思われるだろうか。SNSを開くと罵詈雑言が飛び交っている。過ちは繰り返しませぬと誰もが思っているわりに、日常的な暴力を否定する人たちは少ない。政治家や芸能人には何を言っても書いてもいいと思っている人たちもいる。コンプライアンスの時代が聞いて泣く。
平和学習で沖縄をこんなにも訪れている若い人たちがいるというのに、日常的な暴力を肯定する社会になってしまったのは残念至極である。いま一度、冷静になって平和について考える機会を個人で持つよりほかに方法はないように思われる。取って付けたような平和学習には意味など微塵もない。
木村達哉
追記
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