11月18日。先日は仙台育英学園沖縄高校の先生方とコザ一番街で人生の反省会を開催した。コザ一番街は1970年にコザ暴動が勃発した場所だ。沖縄の人が飲酒運転の米兵が運転する車にはねられ、その結果、暴動に発展した事件である。その意味でもっとも沖縄らしい場所だと言えるかもしれない。
昨年だったか、仙台育英学園沖縄高校のオープンスクールに顔を出し、それ以来のお付き合いである。仙台育英が沖縄にもあることをご存じない方もおられるし、同校が通信制高校だと誤認されている方もおられる。が、れっきとした全日制の私立高校である。入試には学力検査こそないが、面接やレポートで人間を見られる。
オープンスクールで印象的だったのは、「単に大学に行きたいだけの人は来ないでください」と校長先生がおっしゃったことである。同校はICT方面の起業家精神を育成したいので、どこでもいいから大学にという人は来るなと言う。普通、オープンスクールは「うちに来てください」と学校が生徒に言う場所である。その点で、この学校は普通ではない。
教務部長の先生は、面接とレポートの入試なんてと楽勝だと思っている人もいるでしょうが、勉強のやる気が見えない人は落としますし、実際いっぱい落ちていますと仰った。私の前に座ってそれまでスマホを触ってばかりいた髪の長い女子中学生の背筋が伸びたのがはっきりわかった。
教頭先生や教務部長の先生、英語科の先生や投資部の先生が参加され、おおいに盛り上がった。これからの学校やこれからの沖縄についてもじっくり話をした。上の写真はふざけているように見えるかもしれないけれど、学校という場所について真剣に話し合う機会となった。とても考えさせられた。
子どもの数が激減している。学校の形も変わっていくだろう。今はまだ全日制普通科が「普通」視されているが、10年後の学校はどうなるかわからない。年ねん増えていく通信制高校の生徒たち。それを許容する文科省と社会。昭和を生きて獲得した価値観が邪魔になる日も近いのかもしれないな。
そんなことを考えながら帰宅した。1970年のコザは暴動の炎に包まれたが、それから約50年経ったコザはとても平和な時間が流れていた。変化を敏感に感じるために、さまざまな人たちとお会いしたい。仙台育英学園沖縄高校の方々とも変わらずお付き合いをお願いしたい。今日は非常にいい日になった。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。