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文章をうまく書くために

2024.11.29(金) 09:00

11月29日。文章を読んだり書いたりが仕事なので、専門は英語ですと言っていた3年前とは完全に違う職種である。教えるための英語から、使うための英語に変わった。英語を説明するための日本語から、レトリックを身につけねばならなくなった。フェーズが変わるとやることは当然ながら違う。

英語に関してほぼ毎日ざっと目を通しているのがBBC、CNN、Routers、JT、USA TODAYなど。わからない箇所もあるが、どんどん読み進めていき、全部読み終わったあとに再読する。その際に知らなかったものをピックアップする。文字どおり、落ちている小石を拾うがごとしである。知らない単語や表現は山ほどあり、完全に暗記するのは不可能だが、それでもちょくちょく出てくる単語はそのうち自然と覚える。日本語と同じである。

日本語の文章を書くのと英語の文章を書くのを比較すると、日本語のほうがレトリックに幅があると感じるが、それは私の語彙力の問題である。英語の語彙力が日本語に追い付いていないのである。いろんなメディアに目を通しているが、日本語では意味がわからない単語や表現がほぼ無いのに英語では有る。それを埋める作業は多少苦しいが、楽しむことにしている。知らないものを覚えるのは当たり前である。

国語の先生が必ずしも高い文章力を持っているわけではない。読む量が多くても文章をしっかり書かなければ書く力は身につかない。SNSにいくら文章を書いても駄目で、この「しっかり書かなければ」が重要である。また、それなりのコーチに文章を見てもらい、正しく添削をしてもらうことが望ましい。

私の場合、コーチは新聞社や出版社の編集者である。物書きのなかには編集者を「敵」と呼んで警戒している人たちもいる。自分の文章に対して一家言持っているプロの物書きである。編集者にあれこれ直されるのはプライドが許さないということであろう。私の場合、最終決定権は私にあると考えているからか、素直に編集者の意見を受け入れ、必要な個所は吸収する。

何歳になっても未熟さを感じながら、死んで灰になるまでは勉強するのが人間というものだ。特に書いた文章をカネにして生きている身である。文章が未熟で編集者に頼りっきりな作家では目も当てられない。勉強というよりもむしろ厳しい修行ではあるが、作家仲間連中に木村は堕ちたねと酒の肴にされない程度の努力はしておこう。

木村達哉

追記
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