12月3日。普段は考える対象ではないし思い出すこともないのだけど、それでもなにかにつけてちょくちょく思い出すもの、それが遠く離れた故郷というものだ。奈良県橿原市で育った。父の実家が明日香村なので、遊び場は藤原宮跡や耳成山、香久山あたり。奈良というと鹿がいる奈良公園を思い出す向きもあるだろうが、故郷で鹿を見たことはない。
私のSNSで「友達」になっている方はご存じかと思うが、久しぶりに明日香村に行ってきた。故郷なのだから「戻った」と書くべきなのかもしれないが、物理的にも心理的にも距離があるうえに、奈良にいる頃はずいぶん辛い思いをしたものだから、なかなかそうは書きにくい。どうも「行ってきた」のほうがしっくりくる。
中大兄皇子とともに大化の改新と呼ばれるクーデターを起こした中臣鎌足(私が中学時代に教わったのは中臣鎌子であった)を祀る談山神社で紅葉狩り。子どもの頃、この神社を大人も子どもも「DANZANじんじゃ」と呼んでいたが、正しくは「TANZANじんじゃ」なのだそうだ。実際、PCも「DANZAN」と打っても変換しやがらない。
ずっと「DANZAN」と呼んでいたので今さら変えることはできない。一緒に行った妻は「TANZAN」と発音し、私のほうは意地になって「DANZAN」と言っていたが、とにかくその談山神社で美しい紅葉を堪能した。若い頃は紅葉を見ても、こんなものの何がいいんだと思っていたのに、年を食うと心が動く。
生きている間にあと何回故郷の土を踏めるかななどと考える。父も母も死に、住んでいた家もないのだから、故郷に向かうとすれば桜と蛍と紅葉の時期ぐらいしかない。加えて、年をとると故郷に戻りたい人が多いらしいが、そんな気分にはまったくなれない。子どもの頃、早く家を出たくてしょうがなかったのも影響しているのかもしれない。
故郷は遠きにありてと詠んだ室生犀星は、金沢に帰郷しても温かく受け入れてもらえない悲哀を表現したと言われている。私はどうだろう。温かく受け入れてもらえないわけではないが、石舞台古墳の広場で遊んでいても親戚に会うのではないかとびくびくしているようでは、あまり温かい存在ではないように思う。
次に故郷に行くのは来年の春だろうか。いつか「故郷に戻る」と表現できる気持ちになればいいか。いや、そうでもないか。遠くから見て、苦しかった子ども時代をたまに思い出すぐらいがちょうどいいように思える。
木村達哉
追記
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