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忘年会が悪者にされている記事を読んで

2024.12.12(木) 08:00

12月12日。組織に所属していない私には忘年会が無い。羨ましいと思う向きもあろうが、まったく無いというのもけっこう寂しい話である。灘校時代は英語科の忘年会がフランス料理店で、学校全体の忘年会が有馬温泉の然るべきホテルで、それぞれけっこうなカネを積み立てた結果として行われていた。

コロナもあって忘年会は要らないんじゃないかという社会になっているらしい。行きつけの焼肉屋のオヤジが、ぜんぜん予約が入れへんわと嘆いていた。強制されて飲む酒など美味いわけがないし、行きたくないバンケットを楽しめるわけがないのは重々承知。にしてもまったく無いというのは社会から完全に隔離され、浮世離れた仙人よろしく生きている気持ちになる。

日本の出版社の多くは東京にある。アルクや三省堂が大阪にあったり、あるいは私が東京で暮らしていれば、そういった会社からのお誘いもあるのだろう。それともそういった企業も忘年会などしなくなったのだろうか。会社なんて仕事上のつながりさえあればいいという考えが支配的になりつつあるのだろう。いいのか悪いのかわからない。

忘年会がなくなった私を哀れに思ったのか、大阪のS先生が音頭をとって忘年会を開催してくださることになった。10人余りの先生方や出版社の人が集まってくださるらしい。聞くと灘校の教員が4人もいるとのこと。職場で溜め込んだストレスを発散したいのか、それとも単に酒を飲みたいだけなのかは知らないが、とにかく元同僚たちが梅田まで来てくれるのは嬉しいものだ。

忘年会が悪者にされ始めて久しい。若い人たちだけでなく、50代の人たちでさえも行きたくないというのだから、日本も変容したものだ。仕事外になにかしらの活動なり趣味なりがあって、適当な社会的つながりがあるならそれも大切にすればいいけれど、退職すると何も無くなるという人も多いのではないか。特別にやることのない時間が膨大で、他者とのつながりも無いとすれば、それはかなり寂しいものではないか。

私の場合、退職後もあれこれとやることがあって、自分で自分のクビをしめ続けているのだけれど、おかげで人とのつながりがかなり多く、そもそも人と話すのが大好きな性質もあって幸せに暮らしている。忘年会がありますと言われるとホイホイ出かけていく。忘年会や新年会が良好な人間関係を継続させる部分もあるのではないかと思いながら、忘年会がまたぞろ悪者にされているYahooの記事を読む日となった。

木村達哉

追記
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