1月17日。下からドンと突き上げられるような思いをしたのが30年前。私が大学時代お世話になった仁川百合野町の下宿も被害に遭った。私は被災者ではないが、西宮市の大学に通った人間である。親しんだ街が火の海に包まれ、一瞬で地獄絵図となった。阪神高速道路が横倒しになった。家がぺしゃんこになった。そして、多くの方々がお亡くなりになった。
最初は何が起こったかわからなかったと言う人がほとんどである。マンションに車が突っ込んだと思ったという方がいれば、なんと巨人がマンションを揺らしていると騒いだ方もいる。あり得ないだろうと笑うかもしれないが、それまで大きい駅、建物、高速道路が倒壊する図を見たことはなかった。地震だとは思えなかったのである。
東日本大震災では津波が人々を飲み込んだ。それ以来、地震といえば津波が怖いと思っておられる方が多いようだが、阪神淡路大震災では圧死が多かった。たんすや本棚、なかにはテレビに押しつぶされた方もおられた。我が家の本棚にはすべて突っ張り棒を設置し、倒れないようにしている。キッチンの食器棚も然り。
今日は毎年行われている東遊園地の「阪神淡路大震災1.17のつどい」に参加させていただいた。ルミナリエにしてもそうだが、こういう鎮魂イベントがあちらこちらで開催される。なによりスタッフの方々に対する感謝を忘れてはいけない。時間もカネもかかる。寄付は絶対に忘れない。やるのが当たり前ではないのだ。
風化させないとかあなたのことを忘れないと言うが、たとえば追悼式典で斎藤知事が死者数を間違えたように、いろんなものが形式的になっていく。突っ張り棒が役に立つというのがわかっているのに面倒くさがって設置しないのも風化である。残された我々がお亡くなりになった方のぶんまで精いっぱい生きることこそ大切なのではないか。その方々を偲びながら。
手を合わせながら30年前を思い出していた。隣で寝ていた娘に覆いかぶさった。彼女も今は広島で新しい家庭を築いて幸せに生きている。生きている我々が、いただいた教訓を活かしながら幸せに暮らそうとすることが何よりの追悼である。改めて、お亡くなりになった6,434名の方々のご冥福をお祈りすると同時に、天寿を全うするまで明るく楽しく元気よく生きられるよう努めたい。
木村達哉
追記
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