灘校時代は野球部の顧問でしてね。17年間、監督を務めました。いい思い出としては、阪神の私学大会で3回優勝したことです。また、神戸市東灘区灘区大会でも優勝しました。僕の監督としての優勝回数は4回です。
その時に、いろんな先生方にお世話になりました。私学大会のときは比較的フレンドリーな雰囲気で進行するのですが、公式戦となるといろんな取り決めが厳しいですからね。灘校に移った頃は神戸市のそれがわからなくて、けっこう右往左往していました。
当時、同じ東灘区のブロックで対戦していた学校の顧問の先生が、今は須磨北中学校という神戸市立の学校に赴任しておられます。その先生から、卒業を間近に控えた中学3年生に学びの意味と意義について話してやってもらえないかとご連絡をいただきました。
小学校とか中学校での学びは学びの中でもかなりの初期段階です。いくら灘中学校なんかの入試が難しいと言っても、知全体のなかでは初歩的もいいところです。ここから学びが始まるのですね。学びというのはなにも東大などに合格するためのものではありません。むしろその東大合格でさえもスタートラインに過ぎません。
人々の役に立つ人材になるためには、そこからしっかりと自分の選んだフィールドで努力を重ねていかねばなりません。それがどういう分野なのかは人によります。大谷君は野球でしたね。僕は教育でした。人によっては医療であったり法律であったり経営であったり、中にはパンを焼くことであったり人の髪を切ることであったり整体であったりします。
自分のやりたいことをいくつか選んで、それをやって生きていくためにはどういうことを勉強して自分のレベルを上げねばならないんだろうと考えることです。そうすると学校に通っていることが機械的ではなくなります。単に1時間目に英語があり、2時間目に数学があり、ため息をつきながら授業を受けていてもしょうがないのです。
生徒たちにはそういう話をしました。彼らの人生が実りあるものになることを切に願っていますし、僕の話が、多少でも参考になったのであれば幸甚の至りです。
木村達哉拝